2019-04-11 第198回国会 衆議院 本会議 第17号
私は、本土復帰から十一年、そして十六年にかけて沖縄に住み、取材をしていましたが、沖縄には命どぅ宝という言葉があります。命こそ宝という意味です。人の命はもちろん、沖縄の人たちにとって辺野古の海も命なのです。 安倍政権を語るに欠かせない、そんたくという言葉があります。
私は、本土復帰から十一年、そして十六年にかけて沖縄に住み、取材をしていましたが、沖縄には命どぅ宝という言葉があります。命こそ宝という意味です。人の命はもちろん、沖縄の人たちにとって辺野古の海も命なのです。 安倍政権を語るに欠かせない、そんたくという言葉があります。
やはり、私個人の私見として見えるのは、命どぅ宝かなと。命どぅ宝って、命が宝だということですね。ちょうど今六月ですけれども、沖縄県内小中学校、場合によっては保育園、幼稚園から、この時期、平和学習が始まります。子供の頃から、やはり戦争の記憶、またその悲惨な歴史というものをしっかり知りながら、命あってこそこうやって今があるという教育をしっかりしているんですね。
最後になりますけれども、沖縄の言葉に命どぅ宝というのがございます。命こそが宝である。二十数年間この普天間飛行場を抱えている宜野湾市民は、もうこれ以上普天間の犠牲にはなりたくない、そんなようなことを思っているんですね。何を優先すべきかということを、やはり国政の現場で、命が一番大切だということをぜひ地元の方々の身になって先生方には考えていただきたいと思います。
沖縄の方は、やはり伝統的な文化という、すばらしい歌と踊り、伝統芸能によって、その後ろ盾で命どぅ宝ということを前面に出して今は頑張っていますということで、私なりの応援をさせていただきました。 さて、それでは質問に入らせていただきます。 まず、法務省の女性の活躍促進についてでありますが、これ十一日の閣議で人事院総裁に一宮なほみ人事官を任命することが決定しました。
シンカヌチャー、命どぅ宝と。どんなことがあっても命を粗末にするなよと、こういうことなんです。もう少しその間に言葉はありますが、結論としては命どぅ宝と。その命どぅ宝と思っていた人々が六十七年前の沖縄戦で地獄を見たわけですね。その地獄の中から私は生き残ってきたわけです。 六十七年間、基地をずっと見ながら、基地を減らすために私は二十四年間も頑張ってきたわけです。
○照屋委員 命どぅ宝というのは、琉球王朝以来、国策に翻弄され、あの悲惨な沖縄戦では二十万余のとうとい命が失われ、敗戦後の二十七年に及ぶアメリカの軍事支配下で不条理にも命が奪われた、その中から命こそ宝なんだよという沖縄の思いがこもった言葉なんだ。だから、ぜひ総理には、命どぅ宝、この言葉を、私は、胸に深く深く刻んでいただきたいと思います。
先ほども言いましたように、大臣、私は、命どぅ宝も大事ですが、農業こそは命だと思う。農業、農家、農民を大事にしないような政治、国は滅びてしまうんじゃないかというぐらいに私は思っております。 大臣、総理、きょうはウージ染めのネクタイをしてきました。誰も褒めぬから自分で褒めますが、すてきでしょう。ウージというのはサトウキビなんです。サトウキビの汁で染めた織物なんです。
沖縄の皆さん方の心が命どぅ宝ということで表現をされておるということも、私、肌で感じてきておるところでありますし、先ほどから先生もおっしゃっておりましたけれども、普天間の問題は、十五、六年の月日がたっておるわけでありますが、その中で、やはり諸先輩の方々、そしてまた同僚の皆さん方が大変苦労をされてきたわけであります。
また、大臣、その中で、沖縄の言葉、命どぅ宝という言葉を使いましたよね。これはどういう意味でしょうか。また、なぜこの言葉を使ったんでしょうか。
○佐藤正久君 大臣、この命どぅ宝、これは実は反戦平和運動の方とかあるいは反基地運動、まさに今回、辺野古移設を反対している方もよく使っている言葉なんですよ。今回、辺野古推進派の方々が、大臣がわざわざこの言葉を使った、結構違和感を持っている人も多かったんですよ。そういうことを分かった上でやっぱり使わないといけない。 大臣、次の質問に行きます。 大臣はキャンプ・シュワブに行かれたことがありますか。
その後に私がお出会いした方は、実は照屋寛徳議員がこの前ここで総理に「生命どぅ宝」という色紙をお渡しされまして、私も、後ほどその色紙を、同じものをちょうだいいたしました。その書家、運天先生に私も心からお礼を申し上げたいということで、約十分ぐらい御訪問をさせていただいた、こういうことでございます。
鳩山総理、沖縄には、生命どぅ宝、命こそ宝という言葉がございます。きょうは、私の恩師であり書家の運天清正氏がしたためた色紙を持ってまいりました。冒頭、総理にお上げをしたいと思います。 全大臣の分、色紙を用意しましたが、代表して鳩山総理にお上げしました。
○鳩山内閣総理大臣 照屋先生から「生命どぅ宝」という色紙を賜りましたことを感謝申し上げます。 命を大切にする政治を行いたい、その思いは、沖縄の県民の皆様方にもしっかりとお届けをさせていただかなければならないメッセージだと考えております。 一方で、御案内のとおり、今お話がありましたように、あの沖縄での戦いで二十万の方の命が奪われてしまった。
命どぅ宝、命こそ一番大事と、これが沖縄の心であります。そういう体験を未来に生かすことが今必要であり、自衛隊諸君にも日本の未来を平和な未来にする必要があるんです。
命どぅ宝、命こそ宝という心を持つ沖縄で、自分の親や子供を手にかける集団自決が、日本軍の強制なしに起こり得なかったことは明らかであります。体験者の痛みを伴う証言が、軍の強制を紛れもない事実として裏づけています。
幾多の世がわりを経験し、ありったけの地獄を集めたような沖縄戦を体験した沖縄の人たちは、総理、命どぅ宝、命こそが何にも増して宝である、こういう思いで生きてきたのでございます。 そこでお尋ねをいたしますが、小泉総理は、現下、イラクの治安情勢が非常に厳しい状況にあって、ことしじゅうにイラクへ自衛隊を派遣しようというお考えなんでしょうか。
命(ぬち)どぅ宝、命こそ宝という考え方であります。私は、沖縄戦の体験を経て県民の中に定着をしてきた、この命(ぬち)どぅ宝という思想、非常に意味のある深い言葉だと思います。 国家の利益と個人の尊厳が衝突するとき、何を優先させるのか、私たち県民は学び取りました。国家の利益というのは個人の尊厳にまさるものではない、個人の尊厳こそ最も大切なものであり、守るべきものだということであります。
それともう一つ、これは個人の尊厳ということにもかかわりますけれども、国民の精神、理念も大事でありまして、命(ぬち)どぅ宝、人間は高い精神があるから人間であって、何でもいいから命だけ助かればいいやとか、金だけもうければいいやというよりも、私は、人間本来の本性を大事にしたいと思いますから、それは何かというと、人間一人一人が不正に対しては断固と妥協しないで戦うという意欲が大事だと思うんですよ。
(拍手) 沖縄に、命(ぬち)どぅ宝という言葉があります。これは、悲惨な沖縄戦の体験を通して、二度と戦争を起こしてはならないという崇高な平和への願いです。これは憲法九条の精神でもあります。憲法九条をずたずたにする本法案は、沖縄県民を初め我が国の国民、そして平和を願う世界の人々の心とは相入れないものであります。 私は、本法案の廃案を強く要求して、反対討論を終わります。(拍手)
○赤嶺委員 前半、命どぅ宝にやはりいろいろ感慨を持っていらっしゃるその立場には私も賛成でありますが、教科書検定は適正に行われたというのでは、こういう教科書が出回っているようでは、アジアからも信用されませんし、何よりも、あの命どぅ宝を命からがら体験してきた沖縄のひめゆりの生き残りの先生が、この教科書の記述を読まれて絶句する、こういうことについて思いをはせないような、こういうことを踏まえないようなものでは
それで、発音がちょっと悪くて申しわけないんですが、その命どぅ宝と言うんでしょうか、発音は先生が本場物でやっていらっしゃいましたけれども、命が宝であるというこの言葉にやはり象徴されているというふうに思います。平和を願う心、そして人の命とか尊厳を大切にする、それであろうというふうに思います。
そこで、沖縄の言葉に、沖縄県民がよく使う言葉に命どぅ宝、命こそ宝という言葉があります。今、NHKの朝ドラで「ちゅらさん」をやっておりますが、あそこの中でも、命どぅ宝が今後のドラマの展開の中でテーマになっていくのではないかと思います。 この言葉が生まれてきた原点というのは、言うまでもなく沖縄戦であるわけですね。
いかな軍事的な組織であれ、例えば沖縄では命どぅ宝という、命は宝物だという言葉があります。百八十度違うんですね、人命は羽毛のごとしと。そういうことで二十三万人を超えるような自衛隊という組織がいろいろな物事に対応していけるのか。 私は、こういう警務隊のような自衛隊の内部の組織が調査をするのでは限界があるだろう。
命(ぬち)どぅ宝」、悲惨な沖縄戦を体験した沖縄県民の心はここにあります。県民の願いに背を向け、沖縄の心を踏みにじる本改悪案は断じて容認できません。